ファミリー劇場

ファミリー劇場×ヒストリーチャンネル™ 鉄道特集

放送咲作品はこちら80年代を振り返る

80'sグラフィティ

日本のエンターテイメントを変えた80年代

 80年代、それはバブル景気の風を受けて、エンターテイメントが飛躍的な進化を遂げた時代といえるだろう。特に1983年に東京ディズニーランドの登場から、遊園地ではなく、テーマパークという概念が生まれ、ここから全国に大小数多くのテーマパークが生まれることとなる。また若者文化においても、オシャレさこそが最重要となり、DCブランド、カフェバー、プールバー、ディスコ、ハイソカー(ちょっと高級なデートカー)などが注目を浴びるようになった。その一方で居酒屋チェーンではチューハイのイッキ飲みが定番となり、文字通り「一気!」(とんねるず)というヒットソングも生まれた。ともかく快楽へエネルギッシュであった。
 エンターテイメントは外だけでなく、インドアにも改革を起こした。子供だけでなく大人まで巻き込んで家庭用ゲームの時代到来する。ゲームセンターまで行かなければ遊べなかったコンピュータゲームが家庭で遊べるようになったのだ。1980年にゲームウオッチが登場し、1983年に「ファミリーコンピュータ」が登場し、茶の間がゲームセンターさながらの空間になった。「スーパーマリオブラザーズ」シリーズ、「ドラゴンクエスト」シリーズなど名作ソフトにも恵まれ、社会現象になるほど家庭に浸透していった。また趣味の細分化が起き、80年代は「写楽」「FOCUS」「ダ・カーポ」「ViVi」「Lee」など数多くの雑誌が創刊された。


野球、相撲の2大人気スポーツを追う、プロレスとF1

 スポーツ人気において、日本の80年代初頭はまだまだ、プロ野球、大相撲がテレビ放送される人気コンテンツを占めていた。その二大人気をプロレスが追いかけるという様子だった。もちろん2年に1度づつ、オリンピック、冬季オリンピックも季節的ながら人気を独占するという感覚であった。
ただプロ野球も人気の核ともいえる長島が監督解任、王が現役引退と巨人を去ることとな り、最初の人気のかげりを見せているところだった。江川、原、掛布らの人気若手選手の台頭もあったが、長島、王のビッグネームと比べると、やや見劣りしたのは仕方のないところか。一方、大相撲でも大人気の輪島、貴乃花の引退があったものの、後の大横綱千代の富士の登場で、見事に世代交代が果たされていた。
 そんな中、70年代後半から、プロレス人気が高まってきた。これは男子プロレスだけでなく、女子プロレスにも波及し、「クラッシュギャルズ」の登場はリングを宝塚のような華やかさと女性ファンを爆発的に増やしていった。またテレビ中継が人気の基盤となっている中、テレビ中継に頼らない団体「UWF」なども登場し、これをプロレス好きの文化人が支持することで、サブカルチャー的な人気を呼んだ。
 そして80年代後半、ホンダのF1参戦と日本人ドライバー中嶋悟の参戦により、F1人気が爆発していった。様々なチームに日本企業がスポンサーするようになったのも、バブル時代ならでは。そのため様々なメディアでF1が露出し、日本人に身近に感じられるようになったが、まさにバブルの象徴といえる人気だったろう。

スポーツ界のヒーローにまつわる伝説を検証する番組はこちら!
「80’s黄金のヒーロー伝説」


アイドル人気の中、プロモーションビデオへの注目も

 音楽では、日本のヒットチャートは、たのきんトリオ、松田聖子らの登場で、アイドルが席巻するようになり、80年代はほぼアイドル一色となっていた。特に82年デビュー組は、アイドルの当たり年と呼ばれ、中森明菜、松本伊代、小泉今日子、早見優、石川秀美、堀ちえみなど今も活躍するタレントを数多く生んでいる。
 同時に渋谷や六本木に「キャンディ・キャンディ」「キサナドゥ」など人気ディスコが誕生し、ブラック・コンテンポラリー、ニューロマンティック、ユーロビートなどのブームを生んだ。
 また海外ではマイケル・ジャクソンの「スリラー」などプロモーションビデオが注目を浴び、MTVの誕生とともに、音楽と映像の融合が重要となってきた。日本でも「ベストヒットUSA」の放送で、リアルタイムで楽しめるようになり、国内ミュージシャンも続々とプロモーションビデオの制作に力を注ぐようになっていった。なおそこには、レコードからCDへと音楽ソフトの以降が始まり、CD特典に映像をつけられるようになったことも大きく影響していると思われる。


低迷の日本映画界を席巻した角川映画

 テレビや映画では、テレビの時代といわれ、映画が衰退したと思われた中、角川書店が製作する角川映画が、本と映画のクロスオーバーをプロモーションすることで、大ヒットを連発。「読んでから見るか、見てから読むか」の広告コピーの通り、本も映画も大ヒットとなった。また角川映画は、薬師丸ひろ子、原田知世など独自のアイドルを生み出した。テレビ全盛の中、彼女らは主演映画のプロモーション以外では、めったにテレビに出演せず、「映画館に行かないと見られないアイドル」として活動。その戦略が功を奏し、映画館に彼女たちのファンが大挙集まった。
 この角川映画が一時期の勢いを失いはじめると同時に、後に日本映画の興行成績を書き換え続ける「風の谷のナウシカ」をはじめとするスタジオジブリのアニメ映画の公開がスタートし、日本映画の興行は右肩上がりとなっていく。
 一方、テレビでは、トレンディードラマと呼ばれる、若者のオシャレなライフスタイルを描いたドラマが立て続けにヒットするようになる。また映画製作で腕を磨いたスタッフによる「西部警察」「あぶない刑事」などのドラマも根強い人気をつかんでいく。
 そして80年代最後の1989年にNHKが衛星放送を開始するなど、テレビは多チャンネル化という大きな転換期を向かえることとなる。


ファミリーコンピュータこそが80年代

 全世界で累計6291万台、国内で1935万台を売り上げた家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」ことファミコン。この他にも正規ではないハードが今でも製造されているというから、ファミコン対応のハードがいったいいくつ製造されたのかは、誰も分からない。これを読んでいる人にファミコンを一度もさわったことがないという人は、かなりの少数派だろう。80年代にもっとも大きなムーブメントとなって、世界的に経済効果を生んだもの、それがファミコンなのだ。
 なぜファミコンがここまで人気が出て、同時期に誕生した他のゲーム機は消滅してしまったのか。それはファミコンが最初に発売したから、他はモノマネだったから…と勘違いしている人が、実は多い。「アタリ2600」「カセットビジョン」「SG-1000」などのライバル機に比べて、もっとも発売が遅かったのがファミコンだったのだ。後発機がなぜ市場を独占できたのかといえば、ひとつにはライバル機に比べて低価格だったことが一因だろう。子供に買い与えるおもちゃとしては、低価格に越したことはない。そしてライバル機よりも発色などの性能が良かった点もあるだろう。だだ、いすれもそれはきっかけにすぎない。人気の決め手は、やはり豊富なソフトだ。ゲーム機がいくら優秀であっても、ゲームソフトが面白くなければ意味がない。そのため任天堂はソフトメーカーが参入しやすい体制を整え、圧倒的なソフト販売数を実現。もちろんクソゲーと呼ばれる失敗作も数多くあったが、「ロードランナー」「ゼビウス」「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」「ファミスタ」などの名作ソフトに恵まれ、その人気を一層高めていった。
 つまりファミコンの人気は、ファミコンそのものの人気ではなく、数々のファミコンソフトにあるわけだ。
 今回、ファミリー劇場では、「おぎやはぎの小木のナツハチ党!〜80'sの愛し方〜」で、おぎやはぎの小木博明をナビゲーターに、ファミコン好きの芸人らを訪ね、今でも楽しいファミコンの世界を紹介していく。80年代の自分に思いを馳せつつ、懐かしい魅力に、今一度、触れてみてはいかがだろうか。なおファミコンソフトの一部は、「Wii」の配信サービス「バーチャルコンソール」でも楽しめるので、活用してみてはいかがだろうか。

「ファミコン」をテーマにした番組はこちら!
「おぎやはぎの小木のナツハチ党!〜80'sの愛し方〜」


プロ野球が目指すは、管理野球か野武士野球か

 2011年のセリーグを制した名将落合博満は、優勝しながら監督の座を降ろされた。現役時代三冠王という豪快な成績を残したものの、監督落合は、いたって基本に忠実な指揮官であった。情に流されることを良しとせず、データを重視し、選手の能力を適材適所に配することで、徹底して勝率を意識した采配であった。野村克也や広岡達朗ほどのイメージの強さはないが、いわゆる管理野球というスタイルだ。
 ファンというものは贅沢なもので、チームが弱いときは強くなることを第一に考えるのだが、常勝チームになってしまうと、ゲームの中に遊び心や楽しみを求めたくなってしまう。強さを身に付けたはずの管理野球に不満を持ってしまうのだ。  その楽しさを感じさせる対局のスタイルが野武士野球だ。ある意味、力のある選手がその才能を存分に活かせる環境を整え、自由にプレーさせるものだが、これで勝つのは奇跡に近いといえる。実際、野武士スタイルを実践したチームのピークは短い。1985年の阪神、1998年の横浜などがいい例だろう。
 しかし、その奇跡を、数年間にわたって持続させたチームが80年代にあった。近鉄バファローズ。リーグ最低の防御率の投手陣ながら、「いてまえ打線」を武器として、ペナントレースの上位を席巻していた。近鉄の豪快野球に立ち向かうべくパリーグ各に対抗すべく個性を磨き、熾烈なペナントレースを繰り広げ、属に「熱パ」とも呼ばれていた。ブライアント、ローズ、石井浩郎らの協力打線は、相手チームからすれば、まさに脅威だったろう。そしてファンから見れば、現代の野球選手のスマートさとは違う、まさに野武士を思わせる凄みと魅力を兼ね備えていた。プレースタイルだけでなく、彼等の人間性もまた、プロ野球の魅力だったかもしれない。
その「いてまえ打線」の中核として「いてまえ大将」と呼ばれ、多くのファンに愛されたのが金村義明だ。
 今回、ファミリー劇場では、「80’s黄金のヒーロー伝説」のゲストに金村義明を迎え、アンタッチャブルの柴田英嗣が、ファンの心をつかみ、そして強さも兼ね備え続けたヒーローの生き様に触れていく。もちろんパリーグファンの語り種となっている、伝説の1988年10月19日の真実や、男気溢れる選手たちの姿を余すことなく熱弁をふるっている。そこには、現代のプロ野球が見失いつつある、進むべき道のヒントがあるかもしれない。
 なお、80年代初頭に「いてまえ打線」を率いた西本幸雄氏のご冥福をお祈りします。

スポーツ界のヒーローにまつわる伝説を検証する番組はこちら!
「80’s黄金のヒーロー伝説」

ページトップへ